幸手さくらまつり

2008年3月中旬

       〜4月中旬

   権現堂堤にて

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幸手市権現堂堤の桜 ご案内

【権現堂の桜】

 大正9年、権現堂堤(利根川の支流である権現堂川の堤防)延長6qに約三千本のソメイヨシノが植えられ、関東の桜の名所となりました。戦前の隆盛時は遠く静岡あたりからも花見客が見えて大変なにぎわいをみました。
 太平洋戦争の末期に薪として伐採されたため、昭和24年に改めてソメイヨシノが植樹されました。現在成長して、再び往年の名声を取り戻しつつあり、毎年4月には桜祭りが盛大に開かれ、春霞に浮かぶボンボリに花が映え、それを楽しむ観光客は毎年数万を数えます。現在は、約千本の桜が1qにわたり、季節になると花のトンネルを築き見事なものです。

【順礼の碑と順礼供養塔】

 権現堂の堤は、昔ここが切れると、江戸八百八町の半ばは水浸しになると言われ、江戸を守る大切な堤でしたが、現在利根川は栗橋より関宿、銚子方面に流れ、権現堂川も昭和の初めに締め切られたため、廃堤となっています。昔はよく切れたと言われる堤の中央には順礼の碑や順礼供養塔が建っています。
 享和2年(1802)、長雨が続き堤が切れ何度修理しても大雨が降り出すと一夜のうちに切れてしまうというありさまでした。ある時堤奉行の指図で村人達は、必死の改修工事をしていましたが大被害とうち続く工事の疲れに、口をきく元気さえ失っていました。その時、夕霞のかかってきた堤の上に母娘の順礼が通りかかり、母順礼が堤の切れ口をのぞきこんでいましたが、「こうたびたび切れるのは竜神のたたりかもしれない。人身御供を立てなければなるまい」というのでした。そこで堤奉行は「誰か人身御供に立つものはないか」と人々を見渡しましたが、誰も顔を見あわせるだけで、進んで私がなるという者はありません。すると重苦しい空気を破って誰ともなく「教えたやつを立てろ」という声があがりました。母順礼はこの声を聞くと、「私が人柱になろう」といって念仏を唱えて渦巻く泥水の中に身をおどらせてしまいました。これを見た娘順礼もあっというまにその後を追いました。すると不思議にもそこから水がひいてその難工事もみごと完成することが出来たといいます。
 順礼供養塔は昭和8年当時の文部大臣鳩山一郎氏の筆により建立されたものです。

【行幸堤の碑】

 明治9年明治天皇が東北巡幸の折に、権現堂堤の築堤工事を御覧になった時の記念碑で題額は岩倉具視筆です。昭和16年に文部大臣指定の文化財となりました(現在は解除)。また巡幸を記念して、行幸村の地名が生まれました。現在も権現堂桜堤の西側4号国道沿いにその碑は残っており、流麗な文字をほこっています。

交 通》
 ◎東武日光線幸手駅下車             ・徒歩 30分
             ・バス 五霞町役場行 権現堂下車 約1分
 ◎車  東京方面から国道4号を下り行幸橋の手前右側

《問い合わせ》
 〒340−0192
  埼玉県幸手市東4丁目6番8号
   幸手市役所 商工観光課
   tel 0480(43)1111(代)

 

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